宇宙

市民が創る司法改革公聴会

2000年7月22日 東京弁護士会館「クレオ」にて

 初めまして。陪審裁判を考える会の松本肇と申します。私はホームページ作成などを行っております。
 私は法律のことや陪審制度の難しいことはわかりませんが、今回は裁判を利用したことがある者として、意見を述べさせていただきたいと思います。

■私が経験した裁判
 私は昨年4月、当時在学していた、ある大学のカリキュラムに問題があるとして、民事訴訟を起こしました。債務不履行を根拠として5万円を請求したため、管轄裁判所は東京簡易裁判所でした。
 私はそれまで、簡易裁判所は、市民が簡単に利用できる「簡易な裁判所」であると思っておりましたが、実際に利用してみて、とても利用しづらく、難しい裁判所であると痛感したのです。


意見発表する筆者(^_^;)。



■裁判の進め方について
 簡易裁判所の法廷では、前に裁判官や裁判所の職員、向かって右側には被告代理人の弁護士、後ろの傍聴席には金融機関の訴訟担当の人たちが座っていて、この法廷内に、法律のことをよく知らない人間は私一人でした。
 この法廷では、裁判官も、弁護士の先生も、法律用語を使っていました。裁判所は法律用語を使うのが当たり前の場所だから、しかたがないのかもしれませんが、私は法律の素人です。その素人である私に向かって、難しい法律用語を使われて、もちろん法廷内で、どのような行動をとれば良いのか分からず、私は、しどろもどろになってしまいました。
 そうこうしているうちに裁判官は次回の期日を決めようとするので、「すみません、せっかくの口頭弁論なので、申し上げたいことがあるのですが。」と言うと、「他の事件がつまっていて、あなただけに時間を割くことはできない。主張したいことがあるなら次回までに準備書面を書いてきてください。」と言われる始末です。

福岡の会による寸劇
「もし城島君が宇宙の見知らぬ星で刑事裁判を受けたら」という設定。
理解できない宇宙語で行われる裁判を風刺している。


■素人が本人訴訟をやるには、心細過ぎる
 私は「自分でできる民事訴訟」なる本を買って、一生懸命訴状を作成して法廷へ持って行ったのですが、裁判所での行動は、あまりにも素人にとってはわかにくいのです。
 もしここが銀行のATMならば、係員の人に聞けば、親切に教えてくれます。仮に冷たい態度をとられたとすれば、「お前、誰のおかげでメシが食えるのか知ってるか?お前の銀行にどれだけの公的資金が使われているのか、分かってるのか?」と苦情を言うこともできます。
 しかし、裁判所はどうでしょう?弁護士を頼まなくても訴訟ができるはずなのに、分からないことや疑問があっても、しかもほぼ100%が公的資金で運営されているはずの裁判所では、職員の誰一人として親切に教えてくれる人がいません。それどころか、裁判語を平気で使うのです。私は日本人で、日本語がペラペラですが、ここで使われる日本語を私はほとんど理解できませんでした。
 先ほど、宇宙人ばかりの法廷で、地球人一人が裁かれるという寸劇がありましたが、私にしてみれば、法廷内でやり取りされた言葉は、「ピッピピッピ」という宇宙語のようなものでした。寸劇では通訳がいましたが、私には誰もついていません。


司法改革界のアイドル
中坊公平弁護士
講演「司法改革はどこまで進んでいるのか」


■司法が怖い
 私は、たかだか5万円の請求でしたから、この訴訟自体は勝っても負けても大したことはありません。しかし、これが例えば国や警察といったところを訴える裁判だったらどうでしょうか。また、これが刑事裁判でしかも冤罪事件だったらどうでしょうか。
 私のような法律オンチが法廷に行った時、誰も助けてくれず、自分の理解できない言葉で、裁かれるという状態が、とても怖いのです。

■素人に優しい裁判所になるためには
 裁判所という、国民の税金を使った施設が、広く国民に利用されるためには、裁判語ではなく、きちんとした日本語が使われるべきだと思います。そのためにはどうすれば良いか。日本語が理解できて、裁判馴れしておらず、訴訟の当事者と同じ目線の素人が、必要的に法廷内にいるべきだと思うのです。
 簡易裁判所には、司法委員という名の年配の方がいましたが、私は人から聞くまで、副裁判官だと思っていました。司法委員は、私のような素人をサポートするためにいると聞きますが、特に何かやってもらったことはありません。このような、裁判馴れした副裁判官は、必要ありません。私と同じ目線の、同じ市民が必要だと思うのです。
 こうして考えてみると、やはり陪審制度を導入するべきだと思うのです。
 陪審員という名の市民が見ているところでは、裁判官も日本語を使うでしょう。なにしろ陪審員の大多数が、裁判語を知らない素人なのですから。
 法廷では裁判語ではなく、誰でも理解できる日本語を使うべきです。日本語を恒常的に使うためには、裁判語を知らない人々を法廷に招き入れることで、市民に利用しやすい裁判所ができあがります。ここから、市民の司法参加が始まるのではないかと、私は考えております。
 ご清聴、ありがとうございました。

沖縄が米国領だった頃、陪審裁判を経験した数少ない陪審員。
作家の伊佐千尋氏。

陪審裁判を考える会  松本 肇


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