職業 文筆業、コンサルタント、元よみうり日本テレビ文化センター講師。 文筆業といっても、いろいろあります。三流ライター。 在籍した大学(四年制大学) 立正大学文学部二部地理学科(中退/1990年) 神奈川大学法学部法律学科(卒業/1994年) 法政大学法学部法律学科(学士入学・中退/1995年) 慶應義塾大学経済学部通信教育課程(学士入学・中退/1999年) 放送大学教養学部自然の理解専攻(卒業/2000年) 放送大学教養学部産業と技術専攻(卒業/2002年) 東洋大学法学部(科目履修生) 著書 山根一眞編『ネットワーク共和国宣言』(1996年、筑摩書房) 共著というか、原稿を載せてもらっただけというか…。いわゆるデビュー作? 裁判員裁判がやってくる(2003年、現代人文社) これも共著。第3章を私が執筆・編集しました(^^;)。 ナースのための進学・留学・資格ガイド2005-2006(照林社) 学位授与機構を使って学士を取得するという特集です。 座右の銘 人を尊敬できない者は、人に尊敬されない。 ハゲにつける薬はできても、バカにつける薬はない。 反省だけならサルでもできるってことは、反省しない人はサルにも劣るってこと? 高校時代の原告 当時から頭角現してたと言われてます。 なぜか慶應大学のサーバーに入っていました。7月13日のところを見てください。→朝日新聞の記事 1980年代の後半、原子力発電所の問題が、連日新聞を飾っていた頃の話です。当時、電力会社はさんざん「安全だ!」と言っていました。その原子力発電所建設の反対運動をやっていました。 それにしても、先日の東海村の事故、10年前に「一万年は大丈夫」なんて言っていたバカがいましたけど、今はどう思っているんでしょうねぇ。 私がやっていた神奈川県内の高校生の組織「原発とめちゃお会」の活動が朝日新聞に掲載され、当時私が在学していた高校(神奈川県立川崎南高校)の校長や担任からクレームがついて、運動を続けるならば退学しろだのなんだのモメることになりました。ヘルメットや角棒を持って暴れる人たちの予備軍と思われてたみたい。 ちなみに私は、「ハイ、活動は一切やめます」と言って、水面下でやってました。学校に抵抗してもしなくても、しょせん校長や担任は中間管理職と下っ端で、私の活動を理解してくれる訳がないことを、高校生の私は知っていましたから。 後日談ですが、この時、私に退学を勧めるほど強行にクレームをつけた生活指導のT先生は、異例のスピードで教頭になったそうです。 でもね、神奈川県教育委員会の先生方、今となってみたら、私の言ってたことが正しかったでしょう? 「原発が安全だ。だからくだらない活動なんてやめろ。」なんて偉そうに言ってた上智大学大学院出身のS先生、あんたは高校生に負けたのよ。しょせん、私のいた高校は、学歴バカの集まりだったのよね。 私は昔から無所属・非暴力でやってますからね。ハイ。 |
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