平成11年(ワ)第18×××号 損害賠償請求事件
原告 松 本 肇
被告 慶應義塾
平成11年(1999年)11月8日
原告 松 本 肇 
      

東京地方裁判所 民事25部 単3係 御中

準 備 書 面

1.弁論準備手続の感想

(裁判所への印象)
 「キャリア裁判官は官僚的」だとか、「人間性が無い」などの批判的な噂を聞いたことがあるが、10月21日の弁論準備手続を経験して、そういう噂を払拭するほどの好印象を持った。勝ち負けはともかく、私の述べていることを理解していただいた上で、判決を書かれるであろうと感じ、有意義であった。また、簡易裁判所ではぞんざいに扱われたという印象を持っていたので、この扱いの違いが意外に感じた。地方裁判所へ移送され、率直な気持ちを裁判官や司法修習生の皆さんに対して述べる事ができて、本当に良かったと思う。

(被告の皆さんについて)
 正直なところ、塩澤通信教育部長などの責任者が来ていなかったのがとても残念である。通信教育部事務局の、何の権限も無い2名の職員が来たが、質問に係る規定を知らない点に驚き、多くを語らない点(多分、誰かに指示されたのだと思う)が残念である。
 その事務職員の方に質問したが、その方の回答が詰まると、すぐさま弁護士の先生が助け船を出すが如くペラペラと理論的に話す。何のために職員を呼んだのかが、疑問に思ったが、いずれにしても、権限の無い職員が相手では、納得のいく回答を期待すること自体が難しいので、和解などは最初から無理であったと思う。
 余談だが、本訴訟で初めて出席された弁護士の方が、ちょっと塩澤通信教育部長に似ていたため、勘違いしてしまった。
 「レポート遅くなってごめんなさい」という趣旨の言葉が少しでもあるかと思ったら、「通信教育部は、改善に向けて努力している。その点をご理解いただきたい。」という趣旨の回答ばかりで、少なくとも表面上の謝意は見られなかった。

2.新和解案
 原告が既に提出した訴状にも和解案を書いたが、被告は答弁書で「そんなこと論じるに値しない」と、真っ向からしりぞけられた。もう和解は無理だと思いつつ、もう一度和解案を提示する。
 以下の5点に、全て承服すると約束できるのであれば、原告は和解に応じ、損害賠償も訴訟費用も交通費の支払い請求も諦める。
(1)「通信教育部のレポート課題の添削には、一定の期日(受理から返却まで2ヶ月程度)を設け、その期日が守られなかった場合、添削担当者を懲戒に処し、謝罪文を添えて1ヶ月以内に他の添削担当者が責任を持って添削・返却する。」という趣旨の規定を作る。
(2)上記(1)の規定があっても履行されない場合(つまり3ヶ月経過後も返却されない場合)、当該学生は、その年に支払った学費の全て(約7万円)を返金するよう請求ができる。そのとき学籍は継続する。(つまり、宅配ピザ屋の「30分以内に届かなかったらタダで良い」という、あの規定。)
(3)通信教育部で使用するテキストはせめて10年以内に出版されたものを使用する。少なくとも昭和20年代に出版されたのはやめる。
(4)通学部の学生と、通信教育部の学生における非合理的な差別は無くす。
(5)上記(1)〜(4)を約束する旨を、西暦2000年3月までに発行される、慶應塾生新聞(慶應塾生新聞会発行)に、規定の広告費を支払って掲載する。

3.被告へのお願い
 被告へ強制する訳ではないが、本訴訟の勝敗に関わらず、以下の点に関し、心からお願いする。

(1)当該憲法レポート添削担当者の処遇
 今回、レポート返却が9ヶ月も遅れたのは、憲法という科目であるが、この担当者を懲戒したり、処罰したりしないで欲しい。この講師は私が提訴してしまったため、矢面に立ってしまったが、それは「たまたま矢面に立っただけ」であり、寄せられた情報によれば、3ヶ月、4ヶ月は当たり前、ひどいのになると1年8ヶ月もかかったレポート添削もあるほど、ふざけた教員がいるという。このようなふざけた教員たちが懲戒などの処分がなされないのに、この憲法担当者だけを処分するなどという不公平なことだけはやめて欲しい。
 したがって、今回の事件に関し、この添削担当者への懲戒等はしないでいただきたい。

(2)エジソンやヘレン・ケラーの伝記を思い出して欲しい
 原告は少年時代、エジソンやヘレン・ケラーの伝記を読んで感動したことがある。
 エジソンは、学校生活には適合しない子どもとして扱われたが、母親の教育によって科学に開眼した。ヘレン・ケラーは、目と耳と言葉に障害があったが、サリバン先生の献身的な訓練と教育によって、意志の伝達が可能になったのである。
 エジソンもヘレン・ケラーも、素質を持ち合わせていただけでなく、たまたまそこに教育熱心な母親がいたり、たまたまサリバンという献身的な教師がいたからこそ、世界に感動を与える偉人とされるようになったのである。
 大学入試を経験しない通信教育部の学生に、こうした素質のある者がどれだけ存在するかはわからないが、学生が体験する教育の一つ一つに、エジソンやヘレン・ケラーのように開眼するチャンスが多数存在する。ただの趣味で終わる学生から、良い教育を受けることで、通信教育部で受けた授業をきっかけに総理大臣になる者もいるかもしれないのである。いわば大学は、教育をまともにするか否かという点で、人の人生を左右する力を持つ神であり、母であり、サリバンになりうるのである。であるから、大学を運営するのであれば、人の人生を左右する者という自覚を持っていただきたいと考える。

(3)事務局職員の対応を普通にして欲しい
 原告が、たった2回の電話交渉だけで裁判沙汰にした理由は、ふざけたレポート添削のほかに、事務局のいいかげんさもある。
 事務局職員との電話交渉時、私は「放送大学は締め切りから返却まで2ヶ月だったのに、お宅は半年以上もかかる。何とかならないのか?」と指摘した。電話に応対した女性事務局職員が「慶應は慶應、放送大学は放送大学(システムを同レベルにする必要はない)。」と言い放った。確かに、放送大学と慶應大学を単純比較すること自体が難しいが、レポート返却のシステムが機能していない事を棚に上げて「慶應は慶應、放送大学は放送大学」の一言で済ます対応そのものがバカである。せめて、「遅くなったことは本当に申し訳ありません。放送大学のシステムを見習うよう、今度、上司や教授会に進言しておきますので、もうしばらくお待ちください。」と、嘘でもいいから真面目な対応をしているように見せるのが、事務局職員としての真摯な勤務態度であると思われる。
 ごく普通の感覚を持っている者ならば、こうしたふざけた対応をされた時、「自分は差別対象の人間である」とか、「自分は身分が低い」と感じてしまう。いくら憲法に「学問の自由・平等」云々が書かれていても、学問ノスゝメに「天は人の上に…」云々が書かれていても、そう感じてしまうのである。ましてや、天下の慶應義塾大学において、通学部と通信教育部の(入試などの)学力差や納入すべき学費の格差で引け目を感じている通信教育部の学生は、そう思ってしまうのである。
 私がホームページ(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/8929/)を開設し、寄せられた意見の中には、「差別はけしからん」という意見が大多数の反面、通学生・通信生両方から「差別されて当然」という意見があった。事務局職員のふざけた対応が、通信生の低身分意識を生んだとも言えるのではないかと思う。
 したがって、通信教育部の事務局では、入学直後であろうと、卒業間際の者であろうと、平等かつ人間的な対応を行うことをお願いしたい。

4.最後に
 11月8日が、第一審の最後の口頭弁論であることを前提に、原告の思いを述べる。

(1)お金を払ったのだからサービスされるのは当たり前
 私は10万円以上の学費を被告大学に支払った。10万円という金額は、今の私にとっては大金で、冗談では支払えない金額である。この金額は、天下の慶應義塾大学の学生として学生証が貰えるだけではなく、自分が選択して作成したレポートを添削・返却してもらい、試験を受けて単位を受けることを目的として支払ったものである。(ちなみにスクーリングの授業料はここに含まれてはいない。)
 この10万円以上のお金を支払った以上、そしてテキストや課題集を受け取った以上、私には、好きな科目を、好きなだけ、好きな時に勉強し、レポートを作成・送付し、適切な時期までに添削・返却してもらえるという権利が生ずる。

(2)そば屋の出前だったらどうするか
 我が家では、近所のそば屋からしばしば出前を頼んでいる。そこで、この出前の者に、次のような疑問をぶつけてみた。

問「注文の電話が来たら、どれくらいで届けるか?」
答「30分から1時間くらいです。」
問「もし遅くなったらどうするか?」
答「状況にもよりますが、電話でお客さんに連絡したりします。」
問「何かの勘違いで、3時間遅れたらどうするか?」
答「まずは謝ります。あと、注文した物を持って行って、お金は要らないと言います。」

 本訴訟において、私はそば屋を例えにすることが多く、天下の慶應と比較したり、場合によっては卑下するような言い方をして、そば屋の皆さんには申し訳ないと思うが、あえて比較させていただく。
 不思議なことに、「学歴とは無縁のそば屋でさえ、このような常識を持ち合わせているのに、高学歴で頭の良い人たちが運営しているはずの慶應義塾大学では常識的な運営がなされていない」のである。慶應義塾という、超エリート集団の塊みたいな大学で、このような非常識なことが行われているのである。

(3)東海村の被害者や神奈川県警察の被害者だったらどう思うか
 先日、JCOが起こした臨界事故後、幹部の者が「このような事故が二度と起こらないよう、努力します」旨の会見を行ったが、被害者はこんな具体性の無い言葉が信用できるのだろうか。
 同様に神奈川県警の本部長も、さんざん揉み消しを見てきたくせに「二度と不祥事が出ないように努力する」と言っても、神奈川県民である私は彼の言葉を信用することができない。  被害者が信用するのは、具体的な努力目標や罰則規定・賠償規定の創設である。
 原告は、1999年10月21日の弁論準備手続で弁護士の先生が述べた「努力していることを理解して欲しい」という言葉を全く信頼していない。私が起こしたこの訴訟が契機となり、向こう5年間くらいはきちんと添削・返却がなされると思うが、10年後、20年後もきちんと運営されるかどうかは怪しいのである。原告が和解案などで規定の創設を求めているのは、この点にある。
 したがって、「レポートは何ヶ月以内に返却するのか」、「返却されなかった場合、学生にはどういう処遇がなされるのか」、「怠慢な担当教員をどのように処罰するのか」などを、具体的に決めなければ、とうてい納得ができない。担当教員者数を増やすなどの対策は、規定を作ってから考える問題である。

(4)人の人生設計を狂わせる制度  私は被告大学に、エジソンの母やサリバン先生になれと言っているのではない。献身的な教育など、大学通信教育では無理であるのは承知している。しかし、「少なくとも人の人生設計を狂わせるような制度はやめてくれ」と言いたい。
 私が、準備書面や口頭弁論で「司法試験一次試験免除規定」や、「学位授与機構での学士取得」のことをしきりに述べるのは、次のような理由である。
 例えば、司法試験に合格する素質を持った者が、司法試験一次試験免除を得るため、慶應義塾大学通信教育部を選んだとする。規定では2年以上在学して所定の32単位を修得すれば、司法試験二次試験短答式を受験できるのである。したがって、高卒者であれば、最短2年で司法試験二次試験を受験することができることになる。
 ところが、例えば、入学後1年半で28単位を修得できたものの、あと4単位が足りず、ある4単位科目のレポートを提出した。この科目の添削担当教員の添削指導は極めてルーズで、なんと9ヶ月もかかって返却された。試験は合格しているものの、レポートが返却されないため、当然証明書も発行されず、彼はこの年の司法試験を受けることを断念した。
 さて、彼が仮に司法試験予備校で模擬試験や答案練習会などで「合格圏内」という評価を受けていたとしたら、これこそ人の人生を狂わす事になる。ほぼ確実に彼が弁護士になる素質を持っているのに、ルーズな添削指導のために、1年間を無駄にしたとしたらどうなるか。仮に彼が25歳で弁護士登録をして、65歳まで働けたとすれば、40年間に渡って収入を得ることになるが、弁護士になるのが1年間遅くなれば、生涯稼ぎ出す事のできる収入のうち、確実に1年分をロスしてしまい、39年分の収入しか得られないことになる。
 彼の人生をこのように見れば、明らかに1年分のロスが認められるのに、彼が慶應義塾を相手取って損害賠償請求をしても、この「弁護士として得られたはずの1年分の収入」を証明することは不可能である。しかし、1年分をロスしたのは、明らかに通信教育部のふざけたシステムによるものである。

○司法試験一次試験免除規定について
 司法試験は、大学に2年以上在学し、所定の32単位を修得すれば、一次試験を免除されるという規定がある。(この他にも大学の在学期間と修得単位数によって公認会計士、税理士、弁理士などの試験免除、受験資格を取得できる規定がある。)この規定は、本件訴訟で被告が証拠として提出した乙第一号証「1998塾生案内」という冊子の69ページに記述がある。この記述があり、学生の特典として紹介している以上、この特典が当然のように利用されることを前提としていなければおかしい。


 同様に、学位授与機構で学士を取得するということは、現在の制度では大学卒業資格を受けることと同じ意味を有する。大学を卒業するのが1年遅くなれば、それだけ就職活動に支障を来し、場合によっては加齢による受験資格喪失もあり得る。前述した弁護士の場合と同様、大卒資格を採用の資格とする企業に就職する場合、確実に実働年数が1年間減ってしまうのは明らかである。
 つまり、ルーズな指導のために、真面目なひとりの人生が狂う可能性も無くはない。
 私はたまたま自営業であったから良かったようなものの、この教育システムを頼りにして、コツコツ努力している学生にとっては、とんでもなく失礼で詐欺的状態にある教育システムなのである。

(5)今後の方針
 被告が、本書面の和解案に応じることができないならば、判決ということになる。

勝った場合
 慶應義塾大学通信教育部のレポート添削状況を暖かく見守り、改善できたと判断したとき、原告開設のホームページを閉鎖する。

負けた場合
 控訴する。

■注意:記述の中で、「慶應塾生新聞へ広告料を支払って」云々の記述がありますが、
別に慶應塾生新聞会に依頼されて書いたものではないことを付記します。同会はあく
まで中立という立場です。単に「多くの塾生に読まれること」を前提に書いただけです。

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