平成11年(ハ)46××号  損害賠償請求事件
原告 松 本 肇
被告 慶應義塾
平成11年(1999年)7月1日
原 告  松本 肇 
            

東京簡易裁判所 民事第2室1係B 御中

準 備 書 面

(裁判所の職員の皆さんへ)
 1999年5月20日の口頭弁論において、被告側が欠席したため、原告である私が憤慨し、失礼な態度をとってしまったことを謝罪いたします。裁判前夜、あまりの緊張のためによく眠れず、足が震えるくらいの不安の中、やっとたどり着いた法廷で「被告は欠席」と聞かされて、落胆してしまったためであります。  また、法廷内でペットボトルの水を飲んだことについて、同行した弊社従業員に指摘されて気がつきましたが、この行為は私自身が極度に緊張すると脱水症状を起こし、脳貧血を起こしやすい体質であることが理由です。失礼かとは思いますが、今後も必要に応じて飲ませていただきます。

(被告・被告訴訟代理人の方へ)
 どのような訴訟であれ、いたずらに長引かせることは、良くありません。
 原告は、5月19日に準備書面を裁判所と被告へそれぞれFAXで送りました。もし、5月20日に欠席することをあらかじめ知っていれば、わざわざ次回期日を決定するだけの口頭弁論に出席する必要などありませんでした。
 私は今まで、大学の職員や弁護士という方々は、常識のある方ばかりと思っておりました。しかし、裁判に欠席することを、原告へ知らせないというのは、あまりにも非常識なのではないでしょうか。訴訟の戦術だから許されることなのでしょうか。今回、裁判官は「正当な理由ではないので訴訟を続行する」とおっしゃいました。「続行する」ということは、原告である私の言い分を聞くことかと思ったら、次回期日を決定するだけでした。次回期日を告げられるために、私は交通費を支払って、往復2時間もかけて裁判所へやって来たのです。私は自宅電話番号、FAX番号、携帯電話など、開示できる連絡先を全て訴状に記載しておきました。しかし、被告が欠席することを、ただの1度も告げられませんでした。これが常識人の行うことなのでしょうか?
 原告は自宅から東京簡易裁判所のある霞が関まで、往復で1,300円もの交通費を必要とします(バス400円、JR580円、営団320円)。被告や被告代理人は、この交通費を捻出しても、それは経費として計上することができます。しかし、原告はこの交通費を、既に所得税を控除された所得から捻出しております。この時点で、原告にはハンディキャップがあるのです。


(裁判所への提言)
 5月20日の第1回口頭弁論で、裁判の原告として、初めて法廷のイスに座りました。裁判官、司法委員、書記官、名前呼び係の皆さんを前に、そして傍聴席のサラ金の皆さんを背にして、「銀行のATMでまごつく老人の気持ち」がよく分かりました。
 周囲の人々は誰もが裁判の進め方を知っているのに、自分一人がよく分からず、周囲の人の失笑を買っているのが、あまりにも情けなくなるのです。
 しかしながら、たかだか50,000円の訴額では弁護士を雇うことはできません。それに本人訴訟という制度を認めている国にしては、素人には冷たい場所ではないでしょうか。ですから、銀行のATMのそばにいるような、「ちょっとした質問に答えてくれる係員」が、自分と同じ目線(にいてくれると助かりますので、御一考をお願いいたします。(私は司法委員という役職の方は、そういう方だと思っていましたが、裁判官の両脇にいるということは、裁判官と同じ立場なのでしょうか?)

 平成11年6月21日付被告準備書面について(ここから本文)

(原告と被告の問題に対する考え方)
 本準備書面を読んだところ、原告の述べた事項の回答などがなされておらず、論点をずらしている。ここには、被告と原告とで、本教育システムについてのとらえ方に、大きな違いがある。
 被告は、「単位が修得できないのは、原告の科目試験不受験が原因である。従って、大学側に責任はない。」と述べているが、そもそも原告は「単位が修得できないこと」を理由に提訴したのではない。原告は自分自身が不真面目な勉強態度であったことや、通信授業に関しては科目試験に1度しか受験していないことも認めている。原告のこの請求は、日本語を理解できる者が、よく読めばわかるように、非常に易しい文章で訴状に記載してあることから、論点をずらして述べたと推測できる。 (レポートを返却しなかったことへの不満)  繰り返し述べるが、原告の請求は、「通信課題とされているレポートを添削・返却しなかったこと」に対して行っているもので、誰も単位が修得できないことについて請求していない。
 被告が提出した準備書面には、長々と原告の不勉強さを述べているが、それについての請求は全く行っていないのである。

(生涯学習と単位を取ること)
 また、被告大学通信教育部は、財団法人私立大学通信教育協会(東京都文京区本郷二丁目27番16号 大学通信教育ビル 03-3818-3870(代) http://www.uce.or.jp/)に加盟し
ている。この協会では生涯学習に積極的な機関である。したがって、生涯学習とはどういう趣旨のもとに行われるべきか、被告大学は理解しているはずである。
 生涯学習とは、「生涯に渡って学習すること」である。この「学習」とは、「学んだり、習ったりすること」であり、決して「単位を取ること」や「大学を卒業すること」を目的としているものではない。
 大学をどのように利用して、自分の人生にどのように役立てていくかは、大学が決めることではなく、学生自身が決めることである。
 そして現実に、「いつ、どの科目のレポートを出し」、「いつ、どの科目試験を受け」、「どのような学習方針で勉強するか」などを、原告自身で決定し、自己の責任で行った。
 その結果、スクーリングで受けた4科目(マーケティング論、経済原論、財務諸表論、図書館・情報学)を受け、そのうち図書館・情報学だけに合格して2単位を修得し、その他の3科目は不合格となった。だから、このスクーリングに関して、原告は何ら損害賠償請求はしていない。むしろ、西教授の経済原論は「とても楽しかった」という感想を持っているし、黒川教授の財務諸表論は「最後の授業で体調がすぐれないのにがんばって講義してくれた」という感謝の気持ちを持っている。むしろ、単位が取れなかったは残念だが、その代わりに感動する授業を受けられたと感じているのである。

 しかし、被告は、原告の不真面目な学習態度や受験申請の瑕疵のみを指摘し、結局、「常識的な期間内にレポートを返却する」という、最低限の債務を怠ったことに関して責任逃ればかりを述べ、謝罪することすらしていない。(憲法の採点をした教員の方は、レポート返却時に謝罪文を送ってきた。したがって、この教員に関する憤りは既に消え、証人尋問を行うつもりはない。)

(原告が被告大学に入学した理由)
 原告は、既に大学卒業資格を有している。この資格を基礎資格として、文部省下の学位授与機構で学士(経営学)を修得しようと考え、当初、放送大学の選科履修生の制度を利用することを考えた。しかし、「一流大学で、一流の教授の授業を受けたい(=有名大学に在籍してみたい)」と考え、経済学部が有名な慶應義塾大学に入学した。
 被告大学は通信教育部に一部の例外を除き「科目履修制度」を設置していない。したがって、被告大学の授業を受けようと思ったら、それはすなわち正規に入学することが必須である。
 そこで原告は、卒業を目的とせず、自分の好きな科目を、自分の好きなスケジュールで、そして自分の好きなように履修を開始した。

(大学に行く理由は人それぞれ)
 なぜ大学へ行きたいか。それは様々な理由がある。就職予備校として、見栄として、勉強したいから、など、人それぞれの事情がある。

 原告の当初の目的は、単に学士(経営学・学位授与機構)を取得するに当たり、「慶應に在籍したことがある」という経歴も手に入れられるということであった。また、大学に在学することで、真面目な学生と出会うこともできるし、今まで経験しなかった新しい発見をすることもできる。
 レポートが返却されないことによって、学習意欲を無くし、結局は退学させられてしまうのが、私には我慢できないのである。

(50年前の教科書が教室における講義?)
 しかし、被告大学ではレポートを出しても返却しないばかりか、例えば憲法の教科書は50年前に記述された旧字の教科書である。(甲第5号証参照)それでいて、被告は「テキストそれ自体が通学課程でいえば教室における講義にあたるもので、学生は、まず、配布されたテキストを自宅で学習することが求められる。」などという。  もし被告大学通信教育部のパンフレットに「50年前の教科書です。この教科書を以て講義とします。」と書いてあれば、そもそもこんな科目を選択するはずがない。

(学位授与機構とは)
 学位授与機構は横浜市緑区長津田の東京工業大学キャンパス内に存在する、文部省下の機関で、学士等の学位を授与することのできる、国内唯一の学外学位授与機関である。様々な規定があり、一口に説明することは困難であるが、平たくいえば、「あちこちの大学で履修した単位を集めて申請すれば、大卒相当の資格を与える」ことを目的とした機関である。

(本準備書面の最後に)
 被告は原告のことを「単位を修得しようとする大学生としての基本姿勢や真摯な学習態度は伺えない」と述べているが、常識的な期間内にレポート添削・返却のできない被告大学に、このような高尚な言葉を使っていただきたくはない。

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